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天才たちに尊敬される伝説の天才ランナー、ジェシー・オーエンス [スポーツ]

 今夜の「世界一受けたい授業(日テレ)」は神ドクターの話も良かったが、ある天才ランナーの奇跡の話に強い印象を受けた。

カールルイス、ベンジョンソン、ウサイン・ボルトと言えば、世界中の誰もが知っているスーパースプリンターだ。だが、彼らに「尊敬する選手は?」と質問すると、全員が「ジェシー・オーエンス」だと答える。
さて、この「ジェシー・オーエンス」とは一体誰なのだろうか。

 時は1936年のベルリン五輪(オリンピック)、今からもう80年前のお話しだ。現アメリカは、初の黒人大統領に就任したオバマさんが時代の顔であるように、「人種差別」という言葉は少し薄まったかのようだが、80年前のアメリカのみならず、世界的にも「Colored People(有色人種)」に対する「White People(白人)」の人種差別は凄まじいものだったようだ。

そんな時代背景の中、白人を恐れる黒人の賛否を受けつつも、自らベルリン五輪への参加を選んだ若き「ジェシー・オーエンス」。無名だった彼は、もちろん白人のブーイングの嵐にさらされたが、自身の「走りの速さ」だけで全ての観客を魅了していった。そして、ベルリン五輪で「金メダル4冠」を勝ち取り、スーパースターとして「ジェシー・オーエンス」の名を世界へと知らしめた。
(100メートル走は予選で世界新記録、優勝。走り幅跳びで優勝。200メートル走で優勝。100メートルリレーの第一走者、アメリカ世界新記録、優勝。)

そして、金メダル取得者は当時のナチスドイツの指導者であるアドルフ・ヒトラーと記念写真を撮影するはずだったのだが...ヒトラーはオーエンスとは撮影せずに帰宅してしまった。
黒人であるというだけで、ヒトラーにも会うことが許されなかったらしい。
この背景には、オリンピックでヒトラーがゲルマン民族(白人種)の優越性を証明することを望んでいたという思惑に反することが起因しているらしい。

そして、スーパースター「ジェシー・オーエンス」としてアメリカに帰国したが、ここでもアメリカ政府から公式発表がされることが無かったという。また、その後のオーエンスの仕事も、馬と一緒に走らせられたりする「見せもの」など、ひどい仕打ちだった。
しかし、この世に神様がいるのだとしたら、神様は、天才ランナーのオーエンスを見捨てはしなかった。








 40年の時を経てオーエンスは、カールルース(当時11歳)に指導者として巡り会った。その後ロサンゼルスオリンピックの舞台で、オーエンスに並ぶ金メダル4冠をカールルイスが起こした偉業はあまりにも有名だ。
ここで、始めてアメリカ政府として、当時のフォード大統領から「ある一人のランナーが、人種も政治も関係ないということを証明して見せた」と、そのオーエンスの功績が讃えられた。
また、オーエンスがカールルイスに教えた言葉の一つが「努力すれば、大男にも勝てる」である。

 「天才は99%の努力」という言葉もあるが、誰もが決めつけている「不可能」という苦悩に立ち向かい、その困難を乗り越えて「可能」を実証した「天才」は、その後の「天才のたまご」たちに果てしなく大きな影響を与え続け、「永遠の伝説」となって語り継がれる。




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