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新幹線の父/島秀雄と十河信二 [注目]

今や世界が認める世界一の安全性を誇る「新幹線」、1964年10月1日開業の東海道新幹線以来、未だに死亡事故0件を更新している。

8月30日(土)放送の世界ふしぎ発見!(21時~TBS)で、この新幹線誕生の父と言われる二人の人物が紹介された。

1901年、大阪に生まれた島秀雄(しま ひでお)は「デゴイチ」の名で知られる貨物用蒸気機関車D51形の設計に主任として関与した人物らしい。

D51は1935年に製造が行われた時代だそうで、学校の歴史で習った1929年の世界恐慌(せかいきょうこう)の時代にあたる。

彼の設計の”こだわり”は”軽量化”だったらしい。

そして彼は、後にかつての”国鉄”(元日本国有鉄道)の技師長になった男らしい。

ちなみにこの男、国鉄退職後は宇宙開発事業団で”ロケット開発”にも携わる根っからの技術者で、享年96歳とのこと。

そして国鉄の技師長に島秀雄を奨励したのが、鉄道官僚で第4代日本国有鉄道総裁だった十河信二(そごう しんじ、愛媛県生まれ)、享年97歳だそうだ。

十河信二は、当時大事故によって不信を得ていた国鉄の将来を心配し、もっと広い視野の技術者が必要だと考えたらしい。

そしてその眼鏡にかなったのが、親子2代で”鉄道マン”だった島秀雄だったということだ。
その口説き文句は「一緒にお父さんの仇討ちをしよう」らしい。

当時、島秀雄は桜木町事故(1951年の列車火災事故)で、自動扉が開かずに多くの乗客を死亡させてしまったという自責の念があったようだ。
(これを教訓として、緊急時にはドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正されている)

波乱万丈、何はともあれ、この二人が今の”新幹線”を初めて創ったとされる男達だそうだ。

しかしながら、1964年の東京駅、東海道新幹線ホームで挙行された出発式に、当時の国鉄は「新幹線の父」である二人を招待しなかったらしい。
後にマスコミから注目を浴びた二人とは対照的に、国鉄は非難を浴びて、1987年に民営化されJRとなったのは必然だったのではなかろうか。

いずれにせよ、”技術”を構成しているのは、その”技術”を操る(あるいは持っている)”技術者”と呼ばれる”人間”であり、

どこかで耳にした言葉通り、まさに「技術は人なり」なんだろう。

だから、人を大切にできないような組織や企業は、結果的には技術(技術者)を失って、最後には淘汰されてしまうのだろう。

もうひとつ、島秀雄はD51でも軽量化にこだわるあまりか、欠陥設計など、数多くの失敗をしているらしい。

「失敗は(あきらめないで改善すれば)成功の元」なわけだ。








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