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しくじり告白! 野沢直子の空白の8年間 [芸能]


今夜の「しくじり先生 俺みたいになるな!!(テレ朝)」は天才子役と謳われた杉田かおるさんの壮絶人生の後、野沢直子さんが登場した。
タレントの野沢直子さんは、1988年に放送された「夢で逢えたら(フジテレビ)」のレギュラーであったが、突如、アメリカへと姿を消した。今夜は、その真相を赤裸々に告白した。

「夢で逢えたら」は、ダウンタウンの松ちゃん・浜ちゃん、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさん、そして野沢直子さんを迎えてのバラエティ番組だった。
野沢直子さんは、芸人には必ずと言われる「下積み生活」の時代を経験しないまま、天性のお笑いセンスだけで急激にテレビでの人気を集めたという。そんな中、「夢で逢えたら」のメンバーは、どれも「真に実力を持った」メンバーだったと、野沢直子さんは語った。
これまで、何も考えずに「ひらめき」のお笑いセンスだけでブレークしてきた野沢直子さんにとって、実力あるメンバーに交じっての収録現場は「胃が痛くなる」毎日だったという。

とは言え、そんな本人の気持ちは誰にも打ち明けられないまま、野沢直子さんは突然、全ての仕事を辞めてしまった。その真相は「国外逃亡」と「下積みの勉強」が真実だと語った。
そして逃亡先に選んだのが、全てが異なる文化のアメリカ、ニューヨークだった。

そんな状態で決めた逃亡先のアメリカは「全米が黙った」ネタで始まったという。当時売れていた天才肌の野沢直子さんは、蓄えた「お金」だけを糧(かて)に、単身アメリカへと乗り込んだが、何の考えも持たなかったままだったという。

「全米が黙った」全くウケナかった初めてのネタは、ディズニーの有名な「ネズミキャラ」を使った「腹話術」だったそうだ。ネタはその「ネズミキャラ」の人形に腹話術で「食べさせて」、最後に「嘔吐」するストーリーだったらしいのだが...。英語も全く話せないまま、独自に勉強した即席英語の舞台は「全くウケなかった」結果をもたらしたという。
また、映画で良く登場するという「メトロポリタン美術館」での路上ライブでは、名画「ムンクの叫び」の顔を模倣して、額縁フレームを持ち合わせたネタだったというが、これもアメリカ人には全くウケルことが無かったという。

自分は天才で、1番面白いと自負していた野沢直子さんは、無謀にアメリカへと渡ったのだが、結局「お笑い」では実のることなくアメリカでの当初の2年は「あっという間」に過ぎ去ったという。
その後、アメリカ人と結婚、出産をし、計8年間、日本へ戻ることは無かったと告白しました。

後にわかったことですが、当時「夢で逢えたら」のメンバーも、実力メンバーの中、ネタに悩み、苦しんでいたそうです。

どんなに天才と謳われる人も、結局は「同じ人間」であって、同じように悩み、苦しむのだという事実があった。また、その真実を打ち明けられる「親友」がいるか、いないかはその人の人生に大きく影響するという、リアルな話だった。

先に出演した杉田かおるさんもそうであったが、「1億円の借金」を抱えてしまった「破滅」人生では、一人では決して解決できなかった「地獄」の日々。その地獄から救ってくれた「バラエティの仕事」を持ってきてくれたのは、杉田さんが、かつて「チー坊」として共演していた石立鉄男さんの温かい心だったと。「本当に感謝している」と涙ながらに語った。
困った人を「捨てる神」がほとんどの世の中だが、「拾ってくれる神」も少なからず存在する世の中。もし、全てを諦めて失望してしまう瞬間が訪れたなら、「拾う神」を待ってみることも奇跡の始まりなのかも知れない。












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