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阿部祐二リポーター、及第点のお話し [テレビ]

今夜の「解決!ナイナイアンサー(日テレ)」で、また一つ、真実の人生ドラマを魅せられた。

Q太郎とA子のお話しとして始まる"いつも"の人生劇場。今回登場のQ太郎は、関西のワイドショーリポーターとして、一躍有名となった阿部ちゃんこと、阿部祐二(あべゆうじ)さん。そして、A子は妻のまさ子さんだった。まさ子さんの旧姓は礒村まさ子さんで、美人の元プロゴルファーです。

まさ子さんは阿部さんと出会う26歳まで、ひたすらプロゴルファーの道を歩まれていたそうです。それまで恋愛経験も無かったそうですが、まさ子さんの父は、1代で企業を立ち上げた叩き上げの厳格な父だったそうです。プロだった26歳の時も実家暮らしで、厳しくも門限は21時だったそうです。また、家族で食事というルールにおいて、常に寡黙な父は厳格な雰囲気を醸し出していたと、下を向いて語っていました。

そんな中、当時は売れない俳優の阿部さんと出会い、最初のデートの美味しいものの食事は普通のラーメン屋さんだったそうで、まさ子さんが「こういうラーメン屋さんは初めてです」と話すと、阿部さんは「それじゃ人生の半分は損してるよ」と返したそうです。

プロゴルファーの世界とは違う阿部さんの魅力に、まさ子さんは惹かれていったそうです。
しかし「厳格な父」の承諾なしには全てがダメになるとの思いで、長く付き合う為の手段として、阿部さんと父を合わせる決断をしたそうです。「駄目なら諦めよう」という思いだったそうです。そして、これが今夜の「究極の人生の選択」となったわけです。

当然、まさ子さんは阿部さんに「父の厳格さ」を、何度も口をうるさく説明したそうなのですが...当日の阿部さんは白Tシャツに青いジーンズという恰好で来たのだそうです。まさ子さんは「終わった」と思ったそうです。

父に「(阿部さんの)仕事はどうだ?」と聞かれて、

阿部さんは「お恥ずかしいですが、今ははっきり言って売れていません。アルバイトで何とかやっています。」

父は「そんな状態で、どうやって娘を幸せにできるのか?」

阿部さんは「男は家族を養わなければならないと思っています。体力には自信があります。いざとなったら工事現場でもどんな仕事でもやって幸せにします。」

阿部さんが帰った後、人を褒めたことが無かった父が、まさ子さんに「及第点だ。あいつはいいやつだな。」と言ったそうです。(及第点とは、合格点の意味、あるいは合格ギリギリのラインの意味)

それ以来、毎週日曜の朝、まさ子さんのご両親と阿部さんの4人で毎週朝食を食べる間柄になったそうです。阿部さん曰く、プロゴルファの彼女に会えるのは、日曜の朝7時半しか無かったのだそうです。よっぽど暇な男かと思われたかも知れませんが、一途に通いましたと語った。

ただ残念なことは、結婚式の2か月前に脳梗塞で父が緊急入院してしまったことで、式に出られなくなったそうです。でも幸運なことは、式の後、花嫁衣裳のまま、まさ子さんが父の病院へ行き、花嫁衣裳を見せられたことです。

人それぞれ、辛いことや楽しいこと、人生は本当に人それぞれですが...。
一見駄目だと思えることこそが、時々思いもよらず人を惹きつけて喜ばせたり、共感できたりと...なんだか駄目な人生だと思っても、素敵に思えて仕方がありません。このブログを読んで下さって、ありがとうございます。








今夜の「奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ)」のある家族の実話に目が潤んだ。アメリカで実際にあったというお話だ。

25歳の女性が、とある病院で「女の赤ちゃん」を出産したことからストーリーは始まる。
だが、この25歳の母親は当時、夫との離婚の真っただ中にあったこと、そして既に2人の娘をシングルマザーとして育てていたことから、3人目の子供は養子に出す決断をしていた。

アメリカでは養子に出す赤ん坊の出産後、すぐに会えなくなるというのが決まりだそうで、その赤ん坊である"娘"を抱いた時間は、わずか5分だった(母親としての感情が芽生えて、邪魔をしないようにとの配慮らしい)。

やがてその赤ん坊は養子先で"ミシェル"と名付けられ、兄、妹と分け隔たり無く、3人幸せに育てられた。
しかし、ミシェルの目の色はグレーで、兄と妹は青色の瞳。さらに、兄と妹は大人しくて読書好き、勉強も得意だったのだが...ミシェルは対照的で勉強も苦手だったそうだ。

育ての親は、子供には小さいうちから"養子"であるという事実を告げる選択をした。

大人の女性に成長していくミシェルは、次第に自分の"ルーツ"を知りたいという思いが強くなっていった。結婚し、子供も授かったミシェルは、保険の契約の為に"本当の両親"に関する書類が必要になってしまった。

当時、ミシェルが持っていた持病が、両親からの遺伝性のものであるのか、それとも後天的なものであるのか、はっきりとさせなくてはならない事態に陥った。

ミシェルは"養子"を取り持った会社に問い合わせ、事情を説明した。そして、遺伝性であることがわかり、無事に保険契約は成立したのだが...お話はこれで終わらなかった。

ミシェルは先の担当者に「実の母に会いたい」と告白した。




その担当の女性は「原則としてはできませんが...もし(ミシェルの)実の母親も望むのであれば可能です」と告げた。そして「実の母親に聞いてみます」と、ミシェルに希望を与えた。

担当者が実の母親に電話で内容を告げると、母親は明らかに動揺し「そんなことはできない」と答えた。

担当者は「では実の娘さんからの手紙でしたら受け取ってもらえないでしょうか?」と問うと、母親はOKと承諾した。

手紙を書くために教えられた母親の下の名前はキャシー。
「親愛なるキャシーへ」
わずか5分しか抱いていない、赤ん坊だった娘からの手紙には、これまでの人生、好きなもの、どんな生活をしているかなど、色々な言葉が綴られていた。どんなにキャシーに会いたいか言い表せないなど。

後に「素晴らしい手紙」だったと語った母親は、その嬉しさのあまり、手紙を読み終えてすぐに担当の女性へと電話をした。「今、手紙を読みました。ひとつ気になることがあるんです。」と母親は告げた。話を聞いた担当者は「ではお電話で直接、娘さんとお話されてはいかがでしょうか?」と提案した。

数日後、電話ごしに母娘は再会をした。

10年程前、ミシェルはとある美容院で、ネイリストとして働いたことがあった。手紙にはそのことが書かれていた。そして、母親であるキャシーも、その名前の美容院で、受付の"看板娘"として働いていた時期があったのだ。二人はそれぞれの記憶をたどって、お互いに語り合った。

明るくて誰からも好かれる受付嬢だった母親キャシーと、ネイリストだった娘ミシェルは、10年前に既に出会っていたのだ。それ以後は、育ての両親を交えての家族ぐるみでの幸せな交流が始まったという。

2人が話をする仕草や話し方の様子は、周りの人々が「今思えば...」と語ったように、テレビの前でも"そっくり"だった。母娘の"絆(きずな)"は、お互いに知らずとも"神様"が巡り合わせていたという、温くて、とても素敵なお話しだった。







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