前代未聞の旅客機消息不明/未科学異空間か? [事件]
2014年3月8日、突然消息を絶ったマレーシア航空370便。
ハイジャック説であるとか、墜落説であるとか、
様々な憶測や情報が飛び交うも、
3ヶ月が過ぎた現在も依然 "不明" のままである。
当初墜落とされた理由は、ベトナム人民空軍の捜索によって、
当機がレーダーから消失地点のトーチュー島の南約140kmの海面に油膜の帯と、煙が確認されたからである。
更に翌日には同機の緊急脱出用ドアと思われる物体が浮いているとの情報を、同国政府関係者より発表された。
しかし、そもそも同ボーイング777型機には緊急脱出用のドアが無い。
また、漂流物発見報告の翌日に、ベトナム当局はその漂流物及び油膜は、事故とは無関係であるとの見解を示した。
いずれにせよ飛び続けるだけの燃料は、物理的に無いのである。
だから "不明" という説明しかできないのである。
ただ、レーダーから消失後、同機がPing(ピン)と呼ばれる位置、速度、高度の
電波を発信しており、それを通信衛星が受信していたことから、
少なくとも4時間は飛行していたことがわかっている。
また、通信が途絶える直前の高度は通常の飛行高度であり、何故通信が途絶えたのかは、これまた "不明" なのである。誰かが故意に発信装置をOFFしない限りは…。
いずれにせよ謎は深まるばかり…。
ところで、過去の飛行機に関わる"不明"事件について調べて見ると…
いまさら前代未門でないことが伺える。
消息を絶った航空機は他にもあると言う事だ。
中でも特に奇怪と思える記事を下記に示します。
時は1989年10月12日、ブラジルのポルト・アレグレ空港に
1機のロッキード・スーパーコンステレーション(プロペラ型旅客機)が、
管制塔の許可を得ずに静かに着陸した。
着陸した飛行機の機内を調べると、乗客乗員合わせて92名全員が白骨死体となっていた。
フライトレコーダーの記録では、同機は1954年9月4日、西ドイツのアーヘン空港からポルト・アレグレ空港に向かっている途中で行方不明となったサンチアゴ航空513便だということが判明したと、
アメリカのタブロイド誌/ウィークリー・ワールド・ニュースによって伝えられた。
ただし、この記事に関する物的証拠は無く、上記マスコミによる"でっち上げ"と考えられている。
その理由としては、
1)1956年9月4日、及び1989年10月12日に該当する事故の記録が無い。
2)1992年5月26日号において、年代と便名が異なるものの同じ内容を事件を報じている。
3)自動操縦による初の着陸は1966年である。従って、1954年当時の旅客機では自動操縦による着陸は不可能。
また、例え自動操縦であっても、離陸後3分間と着陸前8分間は航空機事故が集中するCritical 11 minutes(クリティカル・イレブン・ミニッツ)と呼ばれ、通常の着陸を行うことは不可能である。
とはいえ、タイムスリップ、異空間という物が実在するのであれば、
マレーシア航空機の消失は"不明"という結論ではなくなる。
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ハイジャック説であるとか、墜落説であるとか、
様々な憶測や情報が飛び交うも、
3ヶ月が過ぎた現在も依然 "不明" のままである。
当初墜落とされた理由は、ベトナム人民空軍の捜索によって、
当機がレーダーから消失地点のトーチュー島の南約140kmの海面に油膜の帯と、煙が確認されたからである。
更に翌日には同機の緊急脱出用ドアと思われる物体が浮いているとの情報を、同国政府関係者より発表された。
しかし、そもそも同ボーイング777型機には緊急脱出用のドアが無い。
また、漂流物発見報告の翌日に、ベトナム当局はその漂流物及び油膜は、事故とは無関係であるとの見解を示した。
いずれにせよ飛び続けるだけの燃料は、物理的に無いのである。
だから "不明" という説明しかできないのである。
ただ、レーダーから消失後、同機がPing(ピン)と呼ばれる位置、速度、高度の
電波を発信しており、それを通信衛星が受信していたことから、
少なくとも4時間は飛行していたことがわかっている。
また、通信が途絶える直前の高度は通常の飛行高度であり、何故通信が途絶えたのかは、これまた "不明" なのである。誰かが故意に発信装置をOFFしない限りは…。
いずれにせよ謎は深まるばかり…。
ところで、過去の飛行機に関わる"不明"事件について調べて見ると…
いまさら前代未門でないことが伺える。
消息を絶った航空機は他にもあると言う事だ。
中でも特に奇怪と思える記事を下記に示します。
時は1989年10月12日、ブラジルのポルト・アレグレ空港に
1機のロッキード・スーパーコンステレーション(プロペラ型旅客機)が、
管制塔の許可を得ずに静かに着陸した。
着陸した飛行機の機内を調べると、乗客乗員合わせて92名全員が白骨死体となっていた。
フライトレコーダーの記録では、同機は1954年9月4日、西ドイツのアーヘン空港からポルト・アレグレ空港に向かっている途中で行方不明となったサンチアゴ航空513便だということが判明したと、
アメリカのタブロイド誌/ウィークリー・ワールド・ニュースによって伝えられた。
ただし、この記事に関する物的証拠は無く、上記マスコミによる"でっち上げ"と考えられている。
その理由としては、
1)1956年9月4日、及び1989年10月12日に該当する事故の記録が無い。
2)1992年5月26日号において、年代と便名が異なるものの同じ内容を事件を報じている。
3)自動操縦による初の着陸は1966年である。従って、1954年当時の旅客機では自動操縦による着陸は不可能。
また、例え自動操縦であっても、離陸後3分間と着陸前8分間は航空機事故が集中するCritical 11 minutes(クリティカル・イレブン・ミニッツ)と呼ばれ、通常の着陸を行うことは不可能である。
とはいえ、タイムスリップ、異空間という物が実在するのであれば、
マレーシア航空機の消失は"不明"という結論ではなくなる。
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